ともちんの歴史探訪

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2015/09/08 22:49

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人間魚雷

名護屋城博物館へ行ってきました。

(佐賀県唐津市)

  • 豊臣秀吉が文禄・慶長の役で朝鮮征伐へ挑みました。

  • 秀吉が全国の大名に「来い!」と書いた御朱印状

  • 大名たちは集結

  • 例えば豊臣秀保の陣はこんな感じ

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  • この狭いエリアにギュウギュウ

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  • ため池が用意してありますが、川がなくて水の確保に苦しんだようです。

  • 安宅船

    日本軍はこの船で海を渡り、戦いました。

    瓦葺で重心が高いような、、、

    (;-ω-)ウーン

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  • 対する朝鮮軍の亀甲船

    こちらは帆があって、速いのではないかな?

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  • 朝鮮軍の武器

  • 明の国書

    秀吉を国王と認めると書いてあります。
    でも、ブチ切れた秀吉は和平交渉を決裂。

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  • 秀吉が亡くなったことで、文禄・慶長の役は終結。

    不要の城となり、陣跡では今でも軒瓦などが出土してます。

    また、建築資材は唐津城に流用されたとか。

  • というわけで唐津城にも行きました。

  • 初代が寺沢広高

    しかし、嫡子断絶により廃家

    以降は徳川の譜大名が着任

    2代、大久保氏
    3代、松平
    4代、土井氏
    5代、水野氏
    6代、小笠原氏

  • 城下町には武家屋敷や、豪商の邸宅が残っていて、、、

  • これは豪商の「御殿雛」

  • 寺沢広高・初代は海岸に松を植樹して潮風を防ぎ、農地開墾をすすめました。

  • この松原を「虹の松原」と呼びます。
    有名な「からつバーガー」もあります。

  • 名護屋城近郊には、日本三大朝市で有名な「呼子」町があり、イカが美味いのです。

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  • 唐津城では御朱印もゲット

  • 唐津城は続100名城にも選定されます。

  • 左、花押

    中、御朱印

    右、秀吉印

  • 時間に余裕がある方は、陣跡も探索出来ます。

  • 以上、名護屋城博物館と唐津城でした。

    (`_´)ゞ

  • 情報ありがとうございます。
    m(_ _)m
    見所満載ですね!(^_^)

  • 白村江の南、大和朝廷の友好国であった百済の北部西岸の地にも唐津と言う地名が今も現存しているのは、ご存知でしょうか。
    百済の時代は、九州唐津を出た船は、半島南部に有った大和の地の任那に渡り、百済の沿岸を通って百済北部の唐津から高句麗を避ける様に、黄海を跨いで山東半島に渡っていたのです。
    ある時、新羅が唐に属国申請をし、唐が百済と大和の連合軍に攻め込んできます。所謂、白村江の戦いです。そして、百済と任那の地を、唐の属国と化した新羅に奪われ、それ以来、日本は中国大陸との交易ルートを失ってしまいます。秀吉は、中国大陸との交易ルートが欲しいだけなら、かつての百済の地までを奪い返せば良かったはず。何故、深く高句麗の地まで北進して行ったのでしょうか?秀吉さん、欲張り過ぎましたね。

  • 白村江の戦い、五世紀頃の事ですな。

    文禄・慶長の役
    加藤清正、黒田長政は勇猛果敢に攻めたのは良かったものの。
    前線が進み兵糧や武器の補充が進まずに、飢えと寒さに苦しんだそうな。

    確かに、まず百済の地に安定した拠点を置き、少しづつ戦線を拡げるのがセオリー。

    特に秀吉は道を拡張し、大規模な土木工事を行って、じっくり攻めるのが秀吉軍の特徴だったはず。

    しかし、豊臣政権は急速に組織が肥大化した為、朝鮮征伐に反対する者も多く。
    また前線を攻める武断派と、兵糧や武器を準備し送り、また合戦を管理する文治派との深刻な考えの違いにより、豊臣が得意とする戦術とは大きく違った戦いになってしまった。

    晩年の秀吉は奇行も目立ちますからなぁ、、、

    組織としてすでに崩れていたのかも知れませんなぁ、、、

  • 朝廷討伐に反対する者も多くとか、晩年の秀吉の奇行も目立ちとか、言う話は、秀吉の後継者争いに遅れを取ると、戦をほっぽりだして、いそくさと舞い戻って来た者達の言い訳に聞こえますよね。
    清正や長政がどんどん突き進んだのは、戦国武将にとって、相手が余程弱かったのでしょう。
    何も考えずに突撃するのは、魚雷さんみたいなものですね。笑笑

  • 大軍を準備したのは、前田(加賀)、徳川(武蔵)、伊達(仙台)でした。
    しかし、渡航を許されませんでした。

    渡航を許されたのは西日本と九州勢。
    特に島津氏以外は豊臣恩顧の武将達だけでした。

    後継者争いに遅れをとったのは事実かもしれませんな。

    加藤清正や黒田長政には、武功が必要だったはず。

  • 百済の唐津の地を紹介します。
    唐津は、現代朝鮮語ではDang Jinと発言します。中国語に近いですね。
    交通は不便でバスとタクシーを乗り継ぎようやく到着。ホテルは無く、モーテルに宿泊になります。海産物は豊富で、美味しいです。