ともちんの歴史探訪

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2015/09/08 22:49

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こんにちは!

「ふるさと歴史探索Vol.9 大隅半島 戦争遺跡を巡る」
後編をアップロードしました。

大隅半島に遺る戦争遺跡を巡りました。
舞台は志布志へ。
敵の上陸に備え、日本軍が築いた要塞が姿を表します!
https://www.youtube.com/watch?v=b1u05Ec8hjA


  • 1 笠之原基地掩体壕

    戦前、鹿屋市笠之原には航空基地があった。設立当初は教育部隊が駐屯していたが、大東亜戦争期から戦闘部隊も配備された。
    末期には特攻機の基地にもなり、連合軍による大規模な爆撃を受けて壊滅的な被害を受けた。

    敷地は戦後、農地として払い下げられ現在その面影を見ることはできない。
    地上に現存する遺構は、零式艦上戦闘機を空爆から防護するコンクリート製の掩体壕と、地下道への入り口のみ。

    ➀ 零戦掩体壕

    畑のど真ん中にポツンとコンクリート製の掩体壕が残る。
    大型車両用の駐車場も備え、アクセスは容易だが、背が高い農作物に視界が妨げられ、発見に手こずった。

    本来は鉄筋コンクリートで掩体壕を構築するところを、物資不足により鉄筋を用いず、丸石を混ぜることにより資材節用を成し遂げているが、防護力は従来のそれより遥かに劣る。

    2枚の画像

  • 2 内之浦臨時要塞跡

    志布志湾の海岸線は10キロ以上続いており、上陸を果たすのに適した地形だった。
    日本軍は連合軍の上陸地域に備えて志布志一帯を要塞化する。

    ➀ 砲台跡
    内之浦に複数存在した砲座の1つ。
    志布志湾に迫る船舶への攻撃を企図して配置されたものと思われる。
    当時は弾薬庫や探照灯の陣地もあり、探照灯は専用の発電所を必要としたほどの規模だったという。
    なお、もし戦闘が行われていたら、発砲した時点で位置を暴露し、艦砲により即座に無効化されていただろう。
    本土決戦が実現しなかったからこそ残る遺物なのだ。

  • ➁ 海蔵トーチカ跡

    トーチカに至るためには、ちょっとした林内を進む必要がある。
    足元は整備されているが、蜘蛛の巣やスズメバチの飛来等に対する相応の備えが必要である。
    案内板には機関銃陣地、とあるが、正直私はそうは思えなかった。
    機関銃陣地であるならば、海を見下ろす位置にあるトーチカは下方が射撃可能でないと敵を撃ち下ろすことができないからだ。
    あくまでも私の考えだが、内之浦砲台の着弾観測用のトーチカではないかと推察。
    トーチカは左右に口を開き、遠方の視界を確保するように作られていることからそう考えた。

    2枚の画像

  • 3 四季の森 監視用トーチカ

    志布志湾の海岸は総延長10キロメートルを超えるもので、部隊の大規模な上陸に適した地形だ。
    このトーチカは、その広大な志布志湾を一望できる高台に築かれている。
    戦争末期には実際に沿岸監視の任務を帯びた部隊が常に志布志湾への睨みを利かせていたという。
    トーチカへの入り口は反対側の斜面にあり、トンネルを経て壕に至る。
    現在入り口は封鎖されている。

    2枚の画像
  • カキコ、遅くなってスイマセン。
    m(_ _)m
    動画も見させてもらいました。
    『トーチカ』→『なんか?戦争でカッコ良さそう!』なんてイメージがありましたが、歳をとるごとに考えさせられますねぇ。争いというものを...
    当時の九州、ヒヤヒヤもの だったでしょうねぇ。
    戦国時代も大戦時代も、色々な遺構を保存してくださる事に感謝します。
    維持費が掛かるでしょう!と思ってしまいます。
    特に、大戦当時の遺構は、他府県からお金を集めてでも残して行かなければならない物だと思います。
    クラウドファンディングとか...