ともちんの歴史探訪

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2015/09/08 22:49

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水野亜美

白村江の南、大和朝廷の友好国であった百済の北部西岸の地にも唐津と言う地名が今も現存しているのは、ご存知でしょうか。
百済の時代は、九州唐津を出た船は、半島南部に有った大和の地の任那に渡り、百済の沿岸を通って百済北部の唐津から高句麗を避ける様に、黄海を跨いで山東半島に渡っていたのです。
ある時、新羅が唐に属国申請をし、唐が百済と大和の連合軍に攻め込んできます。所謂、白村江の戦いです。そして、百済と任那の地を、唐の属国と化した新羅に奪われ、それ以来、日本は中国大陸との交易ルートを失ってしまいます。秀吉は、中国大陸との交易ルートが欲しいだけなら、かつての百済の地までを奪い返せば良かったはず。何故、深く高句麗の地まで北進して行ったのでしょうか?秀吉さん、欲張り過ぎましたね。