ともちんの歴史探訪

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2015/09/08 22:49

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串木野城[鹿児島県いちき串木野市上名]
別名:亀ケ城

鎌倉時代、平忠国が郡司として串木野に着任、地名をとって串木野三郎忠国と号す。
初代城主、串木野忠国から五代に渡って串木野氏の支配が続くが、南北朝時代、串木野忠秋は北朝方の島津貞久に敗れて知覧へ逃れた。
これにより串木野氏は滅亡。
串木野氏滅亡後、串木野城は対南朝勢力の最前線基地となり、貞久は守りの兵を置いた。
島津六代当主師久の頃には南朝勢力が串木野城を攻撃、師久は直ちに救援し防衛に成功する。

島津十四代当主勝久の時には島津実久と忠良、貴久父子が継承を巡って対立、当時串木野城主だった川上忠克は、実久と姻戚関係にあったため実久に味方して貴久に敗れる。

元亀元年(1570)、島津四兄弟の四男、家久が串木野城主になる。
同年6月11日には同地にて豊久が生誕。

江戸期には城山の麓に地頭仮屋や武家屋敷群が建てられて、島津氏の外城制に組み込まれていった。

ー現状ー
串木野城周辺はベッドタウンとしての開発が進み、県道と住宅地の整備が進んでおり、城域の一部にも住宅地が及んでいる。
城域の大半は竹林で人の進入は困難を極める。
また、南方神社の敷地を除く山は私有地となっており無断での進入はできない。
平成9年から12年にかけて城内の発掘調査が行われ、複数の曲輪から出土品や柱跡などの遺構が見つかった。