ともちんの歴史探訪

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2015/09/08 22:49

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ー薩摩伊作城(いざくじょう) 鹿児島県日置市ー

※伊作城の城域は一部私有地を含んでおります。見学の際は常識の範囲内で楽しみましょう!
郭を隔てる空堀は落差数十メートルはあり、季節次第ではスズメバチの温床です。
安全対策には万全を期しましょう!

○ 歴史の概要

“伊作の地は,島津荘一円荘(完全な島津庄)で伊作荘とも呼び慣わされた。本所は近衛 摂関家,領家は奈良興福寺一乗院であり,その地頭職は 13 世紀(鎌倉時代)以来,島津 氏の支流伊作島津氏の相続するところであった。
伊作荘は元享4(1324)年に下地中分によって北半を領家,南半を地頭が領有すること となり,以後,伊作島津氏が在地領主として定着することとなる。(鹿児島県のHPより抜粋して使用)”

伊作城は上記以来、伊作島津氏が代々居城した。
この城で誕生した武将たちはのちに本家を凌ぐ存在として勢力を拡大、三州統一、九州制覇、文禄慶長の役、そして関ヶ原など全国に猛威を奮った。

江戸時代には聖域として扱われ守衛が常駐していた。

昭和30年に本丸たる亀丸城が県の指定史跡として登録され、平成5年には発掘調査が行われた。

○ 縄張り

シラス台地の浸食谷を了解した郡郭式山城(南九州型城郭)
南北は断崖絶壁で侵入経路は限られている。
曲輪は深い空堀で区画されまさに天険の要害、侵入してきた敵はその堀底を通らなければならずその間籠城サイドの攻撃に晒される。

本丸の亀丸城、その他一部を除いて、私有地、水道施設や舗装道路、そして崩落等により見学出来ない、又は原型を留めていない場所が散見される。
特に東側の曲輪郡は、航空写真を見る限り戦後に田畑として利用されていたものと認められ、遊歩道が整備されているものの実態は不明瞭である。
大手口とみられる場所には案内板があるが、砂防ダムが背後にあるためイメージアップしづらい。

亀丸城のみを史跡指定してしまったがために、他の領域には民間の手が入ってしまった。
だが逆に史跡指定し過ぎると開発が圧迫される。
どの城址であれ、この「遺構と時代のバランス」がとても難しいそうです。
(島津義弘生誕祭にて、鹿児島県の城郭研究の第一人者様の講義を拝聴しました)