ともちんの歴史探訪

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2015/09/08 22:49

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ー姫木城略年表(Wikipediaまんまコピペ)ー
*
* 720年(養老4年): 律令政府と隼人との戦い(隼人の反乱)があり、女性領袖の桂姫がここに立て籠もった。
* 1337年(延元2年、建武4年): 税所氏の一族である重久篤兼がここに篭もり、肝付兼重と野辺盛忠による連合軍の攻撃を退けた。
* 1373年(応安6年): 税所氏と島津氏の戦い。
* 1377年(天授3年、永和3年): 税所氏と相良氏の連合軍が島津氏を攻撃した際、税所氏側がここに篭もった。島津側がこれを攻め落とすまでに三年を要した。島津氏久は城の南西にある咲隈(えみくま、笑隈とも書く)に布陣し兵糧攻めを試みた。これに対して籠城側は馬を水で洗う様子を見せつけ水が豊富にあることを誇示し、氏久は大いに悔しがったと言われる。また、この戦いで島津氏側の碇山左衛門(金吾)が敵に襲いかかる際、勢い余って城内の大岩を真っ二つに斬ってしまったと伝えられる。このとき斬られた岩は金吾石と呼ばれている。戦いの後、城は本田氏に与えられた。
* 1447年(文安4年): 島津忠国がここに篭もり、本田重恒と税所氏の連合軍を退けた。
* 1548年(天文17年): 付近の領主であった本田董親の施政に抗議するため同族の本田実親がここに立て籠もった。董親が島津氏に追われた後は伊集院忠朗の所有となった。